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2012年3月1日木曜日

田子ノ浦啓人L ご逝去のお知らせ


L水牧です。辛い記事となります。とても素晴らしい方でした。個人的にもとても尊敬しておりましたのでただただ残念でなりません。親方の様な美しく強い心の持ち主になりたいと思います。心よりご冥福をお祈り致します。
土屋会長並びに特に親方と親しくされておられました四方幹事より下記公式文章いただきましたので、掲載させて頂きます。


会長 L土屋 定彦
幹事 L四方  克彦
田子ノ浦啓人L ご逝去のお知らせ


当クラブチャーターメンバーの田子ノ浦啓人L(享年46)213日ご逝去されました。ここに謹んで哀悼の意を表しご通知申し上げます。

新メンバーとして入会した弟子の碧山関を伴い、僅か11日前の2月第1例会で元気な姿を拝見したばかりでしたので、あまりに突然の訃報に信じられない思いでいっぱいです。
215日、16日に上野寛永寺で営まれた葬儀には当クラブメンバーも多数参列しましたが、
突然のお別れに言葉もありませんでした。告別式では長井隆充Lが弔辞を読み上げ、最後の
お別れを告げられましたが悲嘆の極みだったと思います。
 田子ノ浦Lには、児童を招き開催するアクティビティ「ちびっこ力士体験入門」、昨年の東日本大震災直後に渋谷駅頭で行った義援金募金活動では大関把瑠都関、日馬富士関をはじめとする
多くの関取を引き連れ参加戴くなど、当クラブの活動に多大なるご貢献を戴きました。
 例会翌日の2月3日に、「ちびっこ力士体験入門」開催時期を児童養護施設の要望にお応えし、9月場所前の夏休み最後の週末に開催することをご快諾頂き、“残暑が厳しいかも知れませんが汗だくで頑張りましょう!”が、親方から聞いた最後の言葉になりました。
 当クラブの柱として活動を支えて頂いてきた大きな存在でしたので、田子ノ浦Lを失った
ことは余りにも大きな痛手で痛恨の極みです。本当に残念でなりません。
いまはただご冥福をお祈りするばかりです。

田子ノ浦親方を悼む各紙記事(抜粋)をご紹介します。

新宮高校3年で全日本選手権を優勝し、史上初の高校生アマ横綱になったとき、
プロでも間違いなく横綱になると誰もが思ったものだ。
恵まれた体と相撲人形のような風貌。綱がさぞ似合ったことだろう。
まじめで礼儀正しく、師匠として弟子の指導も厳しかった。大麻や野球賭博、八百長など
相撲界を揺るがした一連の問題に部屋は全く無縁だった。
相撲界の再生に力を発揮してもらいたい親方の一人だっただけに残念でならない。
〈サンケイスポーツ〉

引退後も実直な人柄は、審判部で発揮された。どんな番付でも一番一番真剣に見ているのが伝わった。
親方としても碧山で幕内力士に育て、喜んでいたのを覚えている。
引退後も年賀状を毎年送ってくれる律儀な人柄だった。
相撲界の良識ある優等生として、今後の協会の健全な運営の為に大きな力になる筈だったのに。残念でならない。
〈スポーツ報知〉

「ウリャー!」あの絶叫は忘れない。仕切りの度に国技館内に響き渡った。83年の全日本相撲選手権。
高3だった久嶋は気合を入れるために、足、胸、腰もたたいた。まるでキングコングを思わせた。
三役になかなか届かず、いつしか支度部屋では背中を向けて座るようになり、三役になったら前を向くと決めていたと聞いた。一途な頑固さは貫いたが、あと1枚及ばず前頭筆頭止まりで、前を向くことなく現役を終えた。
部屋唯一の関取の碧山も最近は背を向けて座る。師匠の願いを果たすためだろう。
余りに早すぎた師匠の無念さを晴らすことが恩返しになる。 
〈日刊スポーツ〉

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