戦没千鳥ケ淵戦没者墓苑追悼慰霊祭が先週の土曜4月3日に千鳥ヶ淵戦没者墓苑にて行われましたので、ご報告致します。
まず、戦没者墓苑とは何か?私も詳しくは知りませんでしたが、今回参加させていただいた事によって大変勉強になりました。
Wikipedia等に詳しく解説がありますが、身元が不明の日本人戦没者の遺骨を安置しているとの事であります。
自分や自分の身内だったらと思うと何とも言えない気持ちになります。
現時点で354332柱の遺骨が眠っているとの事です。
この慰霊祭は当クラブのスポンサークラブで有る東京葵LCの主催により、毎年行われ、三十数年の歴史が有る行事との事です。素晴らしいですね。
さて、式典は一谷伸江.Lのナレーションに始まり、葵LC会長 坪谷茂.Lのご挨拶、君が代とライオンズヒム斉唱。
そして、献水が行われました。 葵LCの全国友好葵LCの皆様により、日本全国の水が奉納されました。
坪谷.Lの言葉にもありましたが、骨になっても故郷に帰ることの出来無い無名戦没者の方々にとって故郷の水はかけがえの無い物でしょう。水は大切です。
次は裏千家雅流 水谷宗雅氏、松谷氏により献茶が執り行われました。
初めてみましたが、日本の文化の奥深さを再認識しました。
田中傳次郎会長もお菓子の奉献の任を。流石の立ち振る舞いでした。
何でマスクしてるのかな?と思いましたら、”全ての不浄を断ち切る”のだそうです。
一般には二服だが、354332柱の為に凝縮して一服だけにするとの事。難しい世界ですね。
次に、葵LC会長 坪谷茂.Lによる献辞が行われ、
大塚ウインドアンサンブルの皆様、ライオンズコーラスグループ「タンポポ」の方々による音楽奉献。
懐かしい歌や楽曲が演奏されました。
最後には皆で「ふるさと」を合唱しました。3番まで歌いましたが、意外と歌詞を忘れていて焦りました。※ふるさとの歌詞
その後、全員にて献花を行い、
アクティビティ贈呈が行われました。
千鳥ヶ淵戦没者墓苑奉仕会代表の方のお話では、当墓苑は50年の歴史があり、
当初は8万の柱だったそうです。第二次大戦では120万人は遺骨として日本に帰ってきたが、残りの120万人はまだ東南アジアの地や、海の中へ取り残されたままだと言う事です。
石川 雅己 千代田区長のお話では、
戦後65年にして354332柱。今でも無名であると言う事は悲しい事である。
戦争は人の人生、軌跡を全て消してしまう。
戦争を「しない、させない、止める」と言う事を改めて強く宣言したい。
と仰っていました。
また、英霊の為、5年前より櫻の再生に取り組んできたが、葵LCよりその為の寄付を頂いた事に感謝しますとのお言葉でした。
続いて、330A地区ガバナー 岡野忠生.Lのお話では、
海外に行く時には出来る限り、その地の無名戦没者の墓地を訪れるとの事です。
最後に、伊賀則夫.Lによる、閉会の辞です。
この日の為に特攻隊員の遺書を拝読に行かれたとの事で、
西島菊次郎少尉の遺書を音読されました。
実際に特攻にて死にゆく心情が伝わってきました。
平和に生きる我々にはそれを文字や言葉で理解するしかありません。
歴史は繰り返すと言いますが、戦争を絶対に許さないと言う姿勢を保つには
どうすれば良いのでしょう?
今の若者を見ていると、すぐにでも戦争を始めてしまいそうな人々もいます。
この様な式典や戦争の無情を伝える事を絶やさず、次の世代に引き継いて行かねばならないのでしょう。
そんな事を考えさせてくれた、厳粛な式典でした。
墓苑にある説明です。
当LCのメンバーも新調したジャケットと帽子で参加しましたよ。
以上、ご報告でした。
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